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声優(せいゆう)またはヴォイスアクターとは、ラジオドラマテレビ映画アニメテレビゲーム洋画の吹き替えなどに、主にだけで出演する俳優のこと。ナレーターとは異なり、登場人物やキャラクターなどのセリフ吹き替えや声当てを行う。仕事の性質から俗に中の人とも呼ばれることがあり、声優が名前ではなく「○○(演じる役名)の中の人」と呼ばれることもある。古くは「アテ師」と呼ばれた。

なお、声優名の前にCVと付いている事が有るが、これは「キャラクターボイス(Character Voice)」の略で、そのキャラクターの声を担当する声優で有る事を表す。この言葉は1980年代後半にアニメ雑誌アニメック』で初めて提唱された造語である。その後、『アニメック』のスタッフが角川書店に移籍して創刊した『ニュータイプ』によってアニメファンの間に普及した。

英語で声優は「voice actor/actress」というが、日本製アニメ(いわゆる "anime")のファンの間では、日本の声優を指して「seiyū」と呼ぶことも多い。

目次

業務内容[編集]

声の吹き込み・吹き替え[編集]

声優という職業の根幹となる業務。自分の担当するセリフをしゃべり、それを録音する。

アニメ[編集]

アニメの場合は、画面を見ながらタイミングをはかり、自分の担当するキャラクターのセリフをしゃべるアフレコと、事前にセリフを吹き込んでおくプレスコの2種類の方法があるが、日本ではアフレコが主流となっており、絵に描かれたキャラクターの演技に合わせることが一般的である。もっとも、実際の現場では、制作スケジュールの逼迫により、作りかけの線画による静止画、または完全に絵のない状態で声をあてなければならないことも多い。声をあてることから、アテレコとも言う。出演料は、ランク制の適用を受ける。特に新作アニメにおいては、予算が限られるためランクの高くない若手声優が主に起用されるが、オリジナルビデオアニメ(OVA)などマニア向け作品ではベテランの有名声優の出演をセールスポイントにする作品もある。アニメは、実写に比べると映像が発する情報量が極端に少ない。そのために声優は、キャラクターの心情が視聴者にわかりやすく的確に伝わるように、誇張した演技をすることが多い。これは、外国作品(実写)吹き替え時の演技とは異なるものである。

日本語吹き替え[編集]

海外のドラマ、映画、ニュース、ドキュメンタリーでは日本語版吹き替えの場合は、画面を見ると同時に耳で聞いた原語のセリフのタイミングとも合わせる。基本的に原語の声は消されるが、原語も小さく残して、日本語の音声をかぶせるボイスオーバーという方法もある。ボイスオーバーは、主にニュースや初期の海外ドラマなどで使われている手法である。アニメと同じくアフレコ、アテレコと言う。ランク制の対象となる。オーディションはほとんど行なわれず、製作側からの指名でキャスティングされる。

ゲーム[編集]

ゲームの場合は、進行に応じて個々の音声データを選択して再生するという性質上、アニメや吹き替えとは大きく異なり、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録するのが普通で、自分のセリフだけが延々と羅列された台本を見ながら、録音のタイミングに合わせてしゃべる。そのため、「共演者」であっても顔を合わせたことがないというケースも多い。(例外としてテイルズシリーズは声優全員が現場に入る)ゲームにもランク制があるが、クライアントからの指名によるキャスティングの場合は出演料の交渉が可能となっている。CD-ROMの普及し始めた1980年代末から急激に増えた仕事である[1]

人形劇・着ぐるみショー[編集]

人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながらセリフを言う。着ぐるみショーでは生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録して、それに合わせて着ぐるみが演技を行なう。特殊な例として、NHK教育番組にて長島雄一神崎ちろは、キャラクターの声だけでなく、本人が着ぐるみの操演も担当している。

ラジオドラマ・CDドラマ[編集]

吹き替えの原語版での俳優や、アニメで描かれたキャラクターの演技に合わせる必要がなく自由度が高い。そのため、声優自身の役柄への解釈や演技力が問われることになる。すなわち、如何にファンやリスナーのキャラに対するイメージに近づく事ができるかが問われるという事になる。アニメや漫画をドラマ化したものはアニメ声優が配役されるが、そうでない文芸作品や創作ラジオドラマでは一般の俳優や若手俳優が出演する番組も少なくない。オーディションはほとんど行なわれず、製作側からの指名でキャスティングされる。声優が出演することのあるラジオドラマで全国ネットされているものに、NHK-FMの『青春アドベンチャー』『FMシアター』などがある。また、ラジオで放送されたものをインターネット配信しているものに『流星倶楽部』『FMサウンドシネマ』『シアター130』などがある。

ナレーション[編集]

CM、ラジオ番組、テレビ番組、PRビデオなど、原稿を読み、それを録音する。番組の解説として機能する。声優の得意分野の一つではあるが、俳優・タレント・アナウンサーが行なうことも多い。ランクの対象外で、出演料は高めとなっている。ギャラはアニメのアフレコの4~10倍以上もらえる。高い技量が必要なためキャリアを積んだベテラン声優が多く起用される。ボイスサンプルと呼ばれるデモンストレーション用の音声素材が起用に大きな役割を果たす。キャラクター・ナレーション、ストレート・ナレーションとある。ちなみに、ナレーションをできる声優は数少ない。そして、ストレートになるとさらに数が限られる。

舞台活動[編集]

新劇系や小劇場出身者が声優へ活動範囲を広げることがあり、声優と俳優の境界線上の活動ではある。しかし、声優養成所を経由して声優になったものの商業ベースに乗らずマスメディアからも注目されない小劇場での舞台活動を行なうことも少なくない。こうした活動はマネージメントが発生しない限り、声優プロダクションは関与しない。

歌手活動[編集]

自らの名前で歌手のような活動をする声優(後述の「アイドル声優」参照)もいるが、厳密な意味では本来の声優の業務ではないとされている。

しかし、アニメにおいては主役又は主役級の配役をもらうと、そのアニメの主題歌を歌うことがある。また、ファンを対象にしたグッズの1つとして、アニメのキャラクターが歌っているという設定で、アニメのキャラクター名義のCD(キャラクターソング)を出すことも珍しくなくなっている。同じ歌手活動を行っている声優でも、自らの名義での曲と、演じるキャラで歌う曲とで曲調や歌い方が大きく異なる例も少なくなく、後者ではキャラの声で歌い切る技量も要求される。従って、特にアニメへの出演を中心に活躍する声優にとっては、基本的な業務の1つに数えてもいいだろう。変わったところでは、演じるキャラクターの設定が歌手であるという理由で歌を歌うこともある。

また、他のジャンルの歌手と比べるとレコード会社との専属契約の制約項目が緩い例が殆どで、所属する会社以外からもキャラクターソング名義でCDを出す例も少なくない。

ラジオパーソナリティ[編集]

ラジオ番組(アニラジ)を持ち、そのトークと進行を行う。古くは一部を除いて地方局での放送が主体であったが、1990年代に入ると文化放送など首都圏のラジオ局でも急増している。特定のアニメやゲームなどとのタイアップで1年程度で終了するものも多いが、人気があれば数年続くことも珍しくなく、中には10年を超える長寿番組もいくつか存在する。役柄でない声優本人の姿に接することができるため、ファンにとっては欠かせない存在となっている。近年では、コストが安くリスナー数も接続数で直接分かるインターネットラジオへの進出も著しい。

その他[編集]

企業内の教育ビデオのナレーション、イベント司会、番号案内の録音されたメッセージ、デパートでの録音案内、路線バスの案内放送、出演作品関連の、あるいは自らの名義での各種イベント出演、アニメ情報番組での顔出しの司会やインタビュアー、プロレスや格闘技のリングアナウンサー。また、のアナウンス(自動放送)にはアナウンサーの声がよく使われるが、声優が使われることも多くなってきた。なお、この場合、声優の名前は企業により公表されるか非公表となるかは異なってくる。

変わった所では、首都圏を中心とした公営競技場での選手紹介イベントやファンサービスイベントなどで、司会進行役として声優が起用される事が時折見られている。また、大井競馬場の『東京シティ競馬中継』では、男性MC陣の一部として声優2名が長丁場の司会を務めている(レース実況は別に専門のアナウンサーが担当)。この公営競技関連の仕事は、場所が場所ゆえ、司会として名前が紹介される事があったとしても、声優として来場者やテレビ中継の視聴者から意識される事がほとんど無いという、声優にとってある意味では特異な仕事といえる。


プロダクションの役割と得意分野[編集]

プロダクションは声優から事務手数料を徴収し、音響制作会社や放送局に対して、吹替、アニメ、CMなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や売り込みを行なう。音響製作会社からのオーディションの募集に応じて、適役と判断した自社の声優に連絡などもするのもマネージャーの役割である。プロデューサー音響監督との繋がりで、マネージャーが作品の演技事務を任せられ、主要な役以外のキャスティングを担当し、声優のスケジュール調整などの事務作業を行なう場合もある。声優の仕事は所属するプロダクションの得意分野に左右されることが多く、例えばアニメでは人気声優でも吹き替えでは出演機会が少ないということがある。

プロダクションの得意分野を挙げると、

とされている。子役声優の場合、有名児童劇団からの起用が多く、劇団ひまわり出身が多い。

また、前述の81プロデュースとNHKのほかに青二プロダクション東映アニメーションネルケプランニングY・M・O)と日本アドシステムズ(NAS)など、特定の製作会社とのコネクションを持ったプロダクションも少なくない。

俳優と声優[編集]

「吹き替え」「声充て」とは本来、劇団俳優らが声のみの出演をする仕事のことであり、便宜上「声の俳優」ということで声優という言葉を使っている。しかし、声優ブームなるものが度々起きることで、「声優」という言葉が浸透してそのまま使われるようになった。そのため、年配の声優の中には声優という言葉で呼ばれることに困惑する者もいる。ボイスタレントボイスアクターという言葉も一時期あったが、定着せずに消えてしまった。

例えばチャールズ・ブロンソンの吹替等で有名なベテラン、大塚周夫は声優という呼称について、『別冊アニメージュ』『ガンバの冒険』ムック本において、「我々は俳優であり、声による演技をしているのですから、声優という別称で呼ぶのはよくないですね」という旨のコメントを発表しており、声優を俳優と区別する風潮に強い難色を示している。その一方で、放送劇団出身者の若山弦蔵のように舞台に立ったことが無く、声の演技を専門にして来た者もいる。

日本で声優の専業化が進んだ理由は、第一にラジオドラマ全盛期にNHK民放が自前の放送劇団を組織して専門職を育成したこと、第二にテレビの普及期はソフト不足のため海外製映画、海外ドラマが大量に放送されて声優による吹替の需要が増大したこと、第三にアニメブームにより最初から声優専門の演技者を志望する者が増えたためだと考えられる。

海外では日本のように専業の声優が確立している国は少なく、俳優が担当することがほとんどである。専業の声優が確立している数少ない国の一つ韓国では放送局が放送劇団を持っている。

日本における実態として、声優業を定期的に行ない、声優として認知されているのは、声優専門プロダクションと放送芸能部門を持つ新劇系の劇団に所属する者達である。「声優」という場合、彼らを指すのが一般的である。事務所の機能として音響制作会社と繋がりがあり、継続した営業活動を行なっている声優プロダクションに対して、一般の芸能事務所がマネジメントするタレントは、過去に声優としてのキャリアがある者を除き、継続的に声優の仕事をすることは無く、声優の仕事をするとしても単発的な出演となる場合がほとんどである。

声優の歴史[編集]

ラジオドラマ時代[編集]

1925年NHKの前身である社団法人東京放送局がラジオ放送を開始。同年に公募されたラジオドラマ研究生12名が、声だけで演技を行なう専門の俳優として、日本の声優第1号とみなされている。この当時は新聞では「ラジオ役者」と呼称していた。時代が下り、1941年、NHKはラジオドラマ専門に俳優を養成する「東京中央放送局専属劇団俳優養成所」の研究生を公募。翌、1942年に東京放送劇団の1期生がデビューを果たし、これが声優第2号とみなされ、かつ「声優」という言葉が使われたのはこの頃からである。「声優」の呼称は、読売新聞の芸能記者だった小林徳三郎によるものという説と、NHKの演芸番組担当プロデューサー大岡龍男が命名したという説がある。声優は当初、ラジオドラマを専門に行なう東京放送劇団員やその他の放送局の劇団員を指し、テレビ時代になって吹替とアニメを行なう役者を指す用語として定着していった。テレビ放送が無く、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという[2]1951年に民間ラジオ局のラジオ東京(現:東京放送)が開局、専属の放送劇団(ラジオ東京放送劇団、後のTBS放送劇団)を設立して1957年に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。

アニメでは、1933年には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川緑波をはじめとする映画俳優達だった。1942年には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声、山野一郎らが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優やコメディアン、放送劇団員が使われた。洋画の吹き替えが行なわれるようになるのはテレビ時代になってからである。

第一次声優ブーム[編集]

民放テレビの草創期には、1961年五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマ洋画等のいわゆる外画の日本語吹替版が数多く放送された。これを背景として声優人気が高まっていった。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで海外作品を放送していたため、日本語吹替版は民放が中心となっていた。以後、海外作品は1960年代前半をピークとして放送された。 ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智。映画俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは草創期のテレビ俳優と同じく、ラジオ時代からの放送劇団出身者や新劇の舞台役者に多くを依存した。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。この時代には声優の別称として、吹き替えを主にしたことから「吹き替えタレント」、声をあてることから「アテ師[3][4]というものがあった。吹き替え全盛期に東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生。後に俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。 テレビの吹替作品第1号はTBSの前身であるKRTテレビが1955年10月9日より放送開始したアメリカのアニメ『スーパーマン』であると言われる。実写では1956年TBSの前身であるKRTテレビで放送された『カウボーイGメン』と記録されている。これらKRTテレビでの放送はいずれも生放送による吹替で、あらかじめ録音したアフレコによる作品第1号は、アニメでは1956年4月8日日本テレビが、番町スタジオ安井治兵衛に依頼して放送した海外アニメ『テレビ坊やの冒険』である。

第二次声優ブーム[編集]

1970年代末からのアニメブームと並行して起こったブーム。アニメの美男子キャラクターを持ち役とする声優が人気を集め、神谷明古谷徹古川登志夫らはスラップスティックというバンドを結成してライブ活動を行なった他、多くの声優がレコードを出すなどした。1979年に放送開始した『アニメトピア』などアニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代であり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針の一つとして打ち出した[5]。『アニメージュ』以外の他のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信して、アニメファンからは声優が憧れの職業の一つと見られる一因ともなった。人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始め、各プロダクションにより声優養成所が設けられた。これらにより、放送劇団出身者や舞台役者の俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。このブームは、およそ1980年代前半までとされる。

この頃になって声優という言葉が広く一般に知られるようになる。それまで「声優」という言葉は定着しておらず、「声優をやっている」というと、同じ発音であるスーパーマーケット西友に勤めていると思われたというエピソードを幾人もの声優が語っている。

端境期[編集]

1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』に出演した佐々木望草尾毅ら5人の男性声優で1989年に結成した「NG5」が人気を集めた。毎日放送制作のドキュメンタリー番組の特集にもなるほどの異常人気だったが、人気はNG5に限定されて、ブームと言えるほどの声優全般の人気とまではならなかった。声優プロダクションの付属養成所以外に、アニメ系の専門学校に声優養成コースが設けられるようになった。

第三次声優ブーム[編集]

それまでのブームがテレビという大衆メディアを背景としていたのに対して、ラジオ番組(アニラジ)・OVAテレビゲーム・イベント・インターネットと、よりパーソナルなメディアを背景として情報が発信されるようになった。この第三次声優ブームにあやかって、1994年には初の声優専門誌「声優グランプリ」「ボイスアニメージュ」が創刊され、そして声優専門のテレビ番組「Voice Actor 30」(関西テレビ)や「声・遊倶楽部」(テレビ東京系)などが誕生した。

このブームで人気となる声優の多くがラジオでの活動を通じてファンを獲得して、CDを売り上げ、大ホールでのコンサートを繰り広げた。1980年代の第二次ブームにも声優がラジオ番組でDJを務めることがあったが、このブームでは声優が専属契約するレコード会社がラジオ番組のスポンサーとなり、商業化が顕著となった。林原めぐみ椎名へきる國府田マリ子らが成功の先駆けとしてモデルケースとなった。同様の手法で声優事務所やレコード会社が若手声優の売り出しを図るようになった。これまでのブームと比較してさらに声優の露出が増加し、アイドル化、タレント化が進行したのが特徴。1993年頃より始まったと見られる。

ラジオ番組以外でも、CD-ROMの本格的な普及をきっかけとしたゲームソフトのデータ大容量化を背景に、テレビゲームに音声が付くようになり、声優の存在が大きくクローズアップされた。その結果、声優出演のテレビゲームのイベントが数多く催され、声優がパーソナリティを務めるテレビゲームのラジオ番組が数多く放送された。また、パソコンゲームでも、同じく大容量化により音声が付加されたものが現れ始め、こちらではアダルトゲーム専門として活躍する声優の他、アダルトゲームに比重を置くプロダクションも登場した。他方、アダルトアニメやアダルトゲームについては所属声優の出演を一貫して許可しないプロダクションも存在する。

この頃から、声優をアニメで知る以外にもラジオやゲームで知ってファンになるというケースが増え、声優ファン=アニメファンとは一概に括りきれない状況が出てきた。

1990年代中期から始まった声優ブームやアニメブーム、またアニメ制作プロダクションの増加により、首都圏で放送されるアニメの数が増加した(後にBSデジタル放送CS放送の普及などで地域格差は以前ほどではなくなった)。そして、誰もがインターネットに接続できるようになり、声優の情報も簡単に入手出来るようになり露出度も格段に増えた、また、声優がパーソナリティを務めるインターネットラジオ番組が増加した。 以上の点から、声優(特にアイドル声優と呼ばれる;後述)が急激に増加し、新人アイドルさながらにファン層の裾野も広がった。

2000年代に入ると、この1990年代中期に起こった第三次声優ブームほどのブームは影を潜めたものの、その頃の熱狂的ブームに影響を受けた声優が数多くデビューし、アニメや外画への出演など本格デビュー前の新人声優がインターネットラジオ番組やイベントで活躍する機会も増えた。 また、インターネットの普及によって、事務所所属をしておらず、自前でインターネットラジオやラジオドラマさらにはアニメを自主制作し、それらに出演するネット声優も出現した。いわゆるネットアイドルの声優版と考えて良い。

また、情報化社会の発展によって1990年代中頃と2000年代での声優をとりまく様相が異なり、前期に活躍した声優がそれまでの活動から一線を引き安定した活動に移っていたり、新たな声優がブームの中心として活躍しているため、2000年代に入って以降を第四次声優ブームと呼ぶ場合もある。この場合、第三次と第四次の間隔はほとんど(あるいは全く)無いと考えられる。

声優の経歴[編集]

現在第一線で活躍している声優の経歴を見ると、以下のケースが存在する。

放送劇団出身[編集]

NHKと民放が組織した劇団である。局のアナウンサーとは別個に、芸能を担当するために放送局で養成され、主にラジオドラマを担当した放送タレントである。彼らを指す言葉として「声優」が生まれた。芸能事務所などの台頭で現在では全て解散している。

NHKの東京放送劇団からは、巖金四郎加藤道子中村紀子子黒沢良山内雅人勝田久名古屋章高橋和枝里見京子川久保潔、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二など多数。民放では後のTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透中村正滝口順平田中信夫朝戸鉄也向井真理子など。地方局では、CBC中部日本放送劇団出身の中江真司、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児などである。地方局で活動していたのはラジオドラマ時代までで、テレビ時代になると海外作品の吹替などの声優の仕事は東京に集中していった。

子役出身[編集]

古谷徹堀川りょう鶴ひろみ冨永みーな飯塚雅弓本名陽子のように小中学生の頃から児童劇団等に所属し、演技力を養い高校卒業と共に、あるいはそれと前後していきなり第一線で活躍するパターン。 最近は、浪川大輔入野自由齋藤彩夏平野綾など小中学生の内から声優として活動するケースが増え始めている。

舞台役者出身[編集]

高校、専門学校、大学在籍・卒業後に劇団に入団し、舞台役者として活動中にアニメ関係者から見出され、声優として活動するパターン。

大別して、大手の新劇系の映画放送部に所属するケースと、小劇場で活躍中に音響スタッフや声優プロダクションのマネージャーにスカウトされるケースの2つがある。大手の新劇系の劇団としては、「文学座」「青年座」「俳優座」「劇団昴」「テアトル・エコー」「演劇集団 円」などである。その他には、野沢那智が主宰した「薔薇座」、肝付兼太が主宰する「劇団21世紀FOX」など声優が主宰する劇団に所属する俳優が声優業も始めるケースもある。

代表的な例としては富野由悠季に見出され、現在でも演劇集団 円で活躍する朴璐美三宅裕司率いるスーパー・エキセントリック・シアター出身の折笠富美子、地元の短大在学中に所属していた劇団でたてかべ和也にスカウトされた小林沙苗、その他小山力也白鳥哲青羽剛村田秋乃高橋理恵子などがいる。

この他、宝塚歌劇団からも退団後に声優へ転身する者があり、古くは太田淑子、最近でも葛城七穂水城レナがいる。

また特殊な例として、声優の卵としてドリカンクラブに入ったものの、その時点ではまるで芽が出ず、暫く舞台役者活動を行いながら養成所に通い、ようやく声優デビューを果たして早々『まぶらほ』などで一気にブレイクした生天目仁美の例もある。

なお、舞台役者出身者と子役・アイドル出身者の中間的な例として、ジュニアミュージカルの出身者がある。高校生を中心に編成された舞台劇団「南青山少女歌劇団」出身である千葉紗子南里侑香。また、中学生の時に舞台出演中にスカウトされた名塚佳織。他にも、樋口智恵子などがこの例として挙げられる。児童劇団等には所属せずに、一般オーディションで舞台出演していた例も少なくない。

養成所出身[編集]

高校大学在学中や卒業後に、専門学校(声優科)、無認可校(声優科)、声優事務所直営の養成所などで1年~数年間勉強したのち、オーディションを受け声優事務所に所属する。中には、大学卒業後に就職を経て養成所に通い声優として活躍している者もいる。また、専門学校(声優科)あるいは無認可校(声優科)などを卒業の際に、声優事務所に所属するためのオーディションを受けた結果、その事務所直営の養成所に編入されるということもよくある。この場合、将来その事務所に所属できることを保証されてはいない。養成所を卒業後、新たに別の養成所に入り直す例も少なからずある。

養成所に通うことが最も手っ取り早い方法ではあるが、それだけに志半ばにして挫折する者も多い。毎年、養成所を卒業する者は二千人を優に越えるが、事務所に所属できる者はその1割にも遠く及ばない。

1980年代後半以降にデビューした声優の大部分が養成所出身である。したがって、成功した人をあげると枚挙に遑がないが、古くは林原めぐみ山寺宏一井上喜久子三石琴乃森川智之らがおり、最近では清水愛能登麻美子田中理恵田村ゆかり中原麻衣鈴村健一などがいる。

作品や雑誌の企画による一般オーディションでチャンスを掴んだ者もいるが、その後は養成所で専門教育を受けて、一人前の声優になるのが通例である。浅野真澄堀江由衣沢城みゆき野川さくら小清水亜美などがコンテストを経ている。

芸能界内異ジャンルからの転向[編集]

アイドルから転向した山本百合子戸田恵子佐久間レイ岩男潤子日高のり子宍戸留美(いずれもアイドル時代は苦労人であった。ちなみに日高に関しては子役経験も一応ある)、アニメソング歌手業の傍らで声優業も行うというキャリアを持つ堀江美都子ささきいさおもこれに近い経歴を持つ)、ヌードもこなすグラビアアイドルから転向した大野まりな柚木涼香千葉千恵巳、レポーターだったかかずゆみ、コメディアンとして活動中に声優に抜擢された郷田ほづみ、人気バラエティアイドルであったが一旦引退した後に声優として復帰した斉藤祐子、声優活動を行う前に出演していたNHK教育テレビたんけんぼくのまち』のチョーさん役で知られるチョー(旧名: 長島雄一)などが挙げられる。似たような例では、俳優と並行し声優業もこなしていたが両立が難しく声優に専念した中田譲治がおり、更には女子大生時代に篠山紀信撮影のヌードを男性誌で披露していた松井菜桜子がいる。

更に近年では芸人から声優に転向、或いは兼業する例が見られる。この場合後述するような、話題性を狙ったタイアップ的なものではないことが多い(実際、タイアップ的な出演と異なり、表立った宣伝は行われない)。清水宏あさりど川本成あばれヌンチャク斎藤恭央竹内幸輔アメリカザリガニ柳原哲也平井善之がその一例である。但し斎藤恭央は、現在「桜塚やっくん」として人気を博し、再び芸人業へと舞い戻っている。なおこのタイプの場合、大抵の出演作にはネルケプランニングが関わっている。

また、1990年代のアイドル氷河期以降には、アイドルやもしくはそれに近いスタンスのタレントとして活動したものの、時勢的に活躍の場が中々得られなかった女性タレントが、20歳前などの比較的早い段階から芸域の拡大の一環、あるいは芸の世界で生き残るための声優転向の可能性などを模索して、オーディションに挑戦してくる事も少なからず見られている。この例としては先述した宍戸留美、千葉紗子などが挙げられるものの、声優として成功し、これを本業や事実上の主業とするまでに至った者は多くはない。

各種芸能人における仕事の一部として参加[編集]

最近は俳優・女優・アーティスト業の傍ら声優として活動するケースも少なくない。声優としての勉強などの経験が無い者も珍しくないため、演技力は玉石混交である。

特に著名人・若手アイドルが起用される場合には、作品の質よりも話題性を狙ってのケースが多い。この場合、ほとんどがその作品限りの単発出演であり、声優としての継続的な仕事は行わない場合が多い。一方、作品が長く続いた場合は役に馴染んでいくので、他の声優以上に初期と終盤の演技に大きな差が出る場合が多い(これは新人声優のそれと同様と言える)。

アーティスト関係[編集]

アニソン歌手以外のアーティストでも声優活動を行う例も増えている(その作品の主題歌を担当する事が多い)。主な例としてChangin' My Lifemyco、元アイドルでもある宍戸留美などが、他にもいくつかの代表作すら持つ松崎しげるや、アニメファンとして知られる西川貴教などのような時々声優活動を行う例もある。

俳優関係[編集]

舞台・テレビ放送などとは演技・収録環境が異なることもあり、名優とされる人物でも声優として演じると演技に違和感の出る場合がある(ディズニー・ピクサーといった海外アニメが多い。国内においてはスタジオジブリ作品に多い子役・俳優等)。また、声優独自の演じ方・発声の方法というものもあるようで、俳優としての演技力自体は申し分なくとも、本職声優に囲まれると演技が浮いて感じられることもある。

しかし、中には本職声優さながらの名演をする者もおり、『あしたのジョー』において矢吹丈を演じたあおい輝彦と丹下段平を演じた藤岡重慶は「彼ら以外には考えられない」と絶賛を受け、テレビ・劇場版の両アニメ及びCM・ゲームに至るまで、実写版映画と舞台を除くほぼ全てのバージョンにおいて不動のキャスティングとなった。また、映画『ストリートファイターII MOVIE』でケン・マスターズを演じたタレント羽賀研二(後に、テレビアニメ『ストリートファイターII V』やディズニー作品の『アラジン』にも出演)や、フェイロンを演じたプロレスラーの船木誠勝は、「声優業でも通用する」と視聴者を唸らせた事は有名である(もっとも、この両者は出演が決まった時、相当量の演技練習を積んだとも言われる)。船木は後に主演としてOVA作品に出演している。

女性では『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』において緋村剣心を演じた涼風真世と、『R.O.D -READ OR DIE-』及び『R.O.D -THE TV-』において読子・リードマンを演じた三浦理恵子が筆頭格と言える。両者とも前段階では起用に疑問を唱える原作ファンが少なからず存在したものの、最終的には大きな支持を獲得するに至り、実写・舞台の仕事も含めた各々のキャリア上における代表作となっている。その他に高評価を得た例としては、『009-1』においてミレーヌ・ホフマンを演じた釈由美子、『ブレイブ ストーリー』において三谷亘を演じた。日本版アナ雪でエルザを演じた松たか子、『鉄コン筋クリート』でシロを演じた蒼井優がいる。

現役のアイドルタレント関係[編集]

現役アイドルとして人気を集めているタレント、あるいはファッションモデル出身の売り出し中の若手女性タレントなどが主に子供向けのアニメへ声優としてレギュラー出演する事がある。

主な例として、『姫ちゃんのリボン』に出演した草彅剛、『赤ずきんチャチャ』に出演した香取慎吾、『鋼の錬金術師』にゲスト出演をした白石美帆が有名である。ファッションモデル出身者では、『Paradise Kiss』に山田優が、『ハチミツとクローバー』に工藤晴香が出演していた。

最近でも『アイシールド21』に中川翔子、『獣王星』に堂本光一小栗旬、『きらりん☆レボリューション』にモーニング娘。久住小春、『デジモンセイバーズ』に新垣結衣、『結界師』に和希沙也が出演しているなど、人気アイドルの声優活動は子供向けアニメを中心に少なからず見られるものとなっている。

基本的にアイドル・タレントとして盛業である者の出演については、大半のケースで出版社や芸能事務所、番組スポンサーなどの関係による何らかのタイアップの要素が絡んでおり、その作品への出演終了後も声優として活動を継続する者は珍しい。また、出演終了後にはアニメへの声優としてのレギュラー出演の経歴を「なかったこと」にしようとする例や、ゲスト出演などではソフト化の際に別人が演じた新録版が収録される例などもある。

グラビアアイドル・タレント関係[編集]

この分野は山本梓秋山莉奈山崎真実等の例に見られるように、アニメよりも特撮番組への出演が目立つが、その中にあって特筆に価するのが福井裕佳梨の存在である。1998年に『彼氏彼女の事情』で声優デビューして以来、グラビアアイドルとしての仕事と並行して着実に実績を重ね、主役級キャラクターとして起用される事例も増えており、むしろ声優としての認知度の方が高い、と言っても過言ではない。

他には小向美奈子が『ホイッスル!』において主人公を演じた事例が目立つ程度であるが、1980年代に一世を風靡したOVAシリーズ『くりいむレモン』及びその派生作品『レモンエンジェル』が2006年に復活するにあたり、しほの涼が『くりいむレモン New Generation』、『LEMON ANGEL PROJECT』、『レモンエンジェル 実写版』の関連3作品で主人公を演じた(かつ、当時現役の中学生であった)事で話題となった。

ローカルタレント[編集]

札幌市に拠点を置くCREATIVE OFFICE CUEに所属するタレントの数名は、スタジオジブリの一部作品に何らかの形で出演している。TEAM-NACS等の演劇関係者が多く所属していることもあり、演技力は高いと評されている。特に大泉洋はジブリ作品以外にも何本か出演している。

特撮番組出演経験者[編集]

東映の変身ヒーロー作品は原則アフレコであるため(特に『スーパー戦隊シリーズ』は今なお、変身後のキャラだけでなく素顔の場面もオールアフレコである)、声優としての演技経験を事実上しているとも言える。そのため俳優などでも活躍した後に声優に転向した者や、タレントや俳優業の傍ら声優業に進出している者も多くいる。

古くは『電子戦隊デンジマン』の内田直哉や『星雲仮面マシンマン』の佐久田修、『宇宙刑事シャリバン』・『時空戦士スピルバン』の渡洋史(声優篠原恵美は彼の夫人)、先に挙げた中田譲治らがおり、また近年では『忍者戦隊カクレンジャー』の小川輝晃土田大や『激走戦隊カーレンジャー』の岸祐二、『電磁戦隊メガレンジャー』の松風雅也や『特捜戦隊デカレンジャー』の菊地美香が有名。

お笑い落語講談師関係[編集]

主な例として、九代目林家正蔵(旧:林家こぶ平)栗田貫一ラサール石井テアトル・エコー在籍時代に声優の勉強を行っていた経験がある)、ぜんじろう西川のりお田村淳ロンドンブーツ1号2号)が挙げられる。

なお、講談師の一龍斎貞友(旧名:鈴木みえ)や一龍斎春水(麻上洋子)はもともと声優として長いキャリアを積んだ後に講談師に転身し、その傍らで引き続き声優活動も行っているため、前記の各人とは意味合いが異なる。声優・舞台女優から活弁士になった山崎バニラの場合もこの事例にあてはまる。

ラジオパーソナリティ関係[編集]

主な例として、『こどものおもちゃ』他に出演をしていた小田静枝が有名である。また、元はラジオパーソナリティとしてデビューし、その後声優としても本格的に活動するようになった小森まなみのようなケースもある。

スポーツ関係[編集]

主な例として、『頭文字D』のレースシーン監修等も行った縁で出演した土屋圭市、『こてんこてんこ』の妖精アイちゃん役の福原愛など。『Di Gi Charat 星の旅』で王様(=でじこのパパ)役を務めた藤田和之は、IWGPヘビー級王者(当時)の出演として話題となった。

アナウンサー[編集]

アニメ制作に関係している各放送局(在京キー局・在阪局など)の局アナウンサーがTVアニメや劇場版アニメにゲスト登場することがある。

大抵はニュースキャスターやリポーターなど本職に近い役(または本人役)になるが、オリジナルキャラで登場することもある。主な例として『ドラえもん出木杉英才役のテレビ朝日萩野志保子アナ(準レギュラー)、劇場版『ワンピース』のフジテレビ笠井信輔アナ、劇場版『それいけ!アンパンマン』の日本テレビ藤井恒久アナ、劇場版『ふたりはプリキュア』のABC赤江珠緒アナなど多数。

また、ラジオ局もいわゆる「アニラジ」番組のパーソナリティを担当しているアナウンサーが声優で登場することもある。こちらはコンビを組む声優繋がりが多いが、ゲスト繋がりやスポンサー繋がりという場合もある。代表例は文化放送長谷川のび太アナウンサー(「犬夜叉」「いぬかみっ!」など)

近時の声優の立場など[編集]

アイドル声優[編集]

最近では声優の仕事は多岐に渡り、声当て・吹き替えだけでなく、CDを発売したり写真集を出版したり、携帯電話の着声を提供する者もいる。また、自分がパーソナリティを務めるラジオ番組(アニラジ)を持つ場合も多い。このような幅広い活動を行う声優は俗にアイドル声優と呼ばれている。

ただしこれはあくまで俗称であるため、明確な定義はなく声優自身がアイドル声優を自称しているわけでもない。このためアイドル声優とそうでない声優との境界はあいまいである(顔出しやラジオ番組への出演などは積極的に行っていても、歌手的な活動はあまり行っていない声優もおり、明確に区別することは難しい)。このアイドル声優は『タッチ』や『らんま1/2』のヒロイン役を務めた日高のり子と、同じく『らんま1/2』に出演した林原めぐみが先駆けとなり、その他、國府田マリ子椎名へきるなどの活躍で1990年代中期からブームに火がつき、現在に至る。

このため、現在の声優には、演技力のほか、ルックスの良さや歌唱力、自分自身が独特のキャラクターを持つことなど、様々な能力が求められるようになっている。とりわけ女性アイドル声優の場合はスタイル、ルックスも多少重視される場合もあるが(それはアイドル化路線が軌道に乗ってから言われる事が多いとされるが)、最近は一部の事務所の養成所で「声優はエンタテインメント」と銘打っている例も出ている。この傾向に対しては一部の声優ファンから『露骨過ぎる』との批判の声も出ていて、その事務所所属声優を無条件で嫌う者まで出ている状況まで発生しており、その結果、本来の実力を過小評価されている者まで出ている事に、そのファンの中からも憂慮する声が挙がっている。野川さくらなどを擁する事務所であるラムズの社長が「アイドル声優にとって重要なのはルックス、トークの巧さ。演技だけ巧くてもデビュー出来ない」とインタビューで述べたことがある。

ちなみに、女性声優がアイドル声優と称される例はよくあるが、男性声優がアイドル声優と称される例はほとんどない。

アイドル声優には『夢の国の住人』『永遠のn歳』などを自称し、ファンと同世代であれば更に親近感を持たれるであろうにも拘らず、生年を全く公表していない者も珍しくない。雑誌などで広範に年齢を明らかにする事については事実上のタブーとしているという者も多い(タレント名鑑などを調べれば大抵は確認出来るが、30~40代どころか近年は10代~20代の若手声優すら生年が明らかにされていないことがある)。ただし、これはアイドル声優に限ったことでなく、ベテラン声優の中にも声優がアニメなどを通じて「子供達に夢を与える仕事」である事を重視して、年齢の公表がキャラクターのイメージを壊す事を危惧する考え方が根強く、プロダクションサイドとしても顔出しをする仕事ではなく演じるのが声のみという利点が、年齢を公表することにより失われる事もあり、声優業界全般に年齢を伏せたがる傾向がある。もっとも、最近のアイドル声優はアニメでの演技だけではなく、アニメ関連のイベントのトークショーや、インターネットラジオなどへの出演も多い事から、その様な場で年齢を連想させる様な言葉をうっかり漏らしてしまい、これにより年齢が明らかとなるケースも見られる。

当然ではあるが、年齢的にアイドル声優としていつまでも活動出来る訳はない。一般の芸能アイドルが20代に入ると古株と言われるのに対して、アイドル声優は30代前後でも通用する点などから前者よりは長いという説もあるが、養成所出身者の場合にはデビュー自体が20代に入ってからになってしまうので一概に長いとは言えないという反論もある。また、人材が次々に登場する新陳代謝の激しい業界であるため、アイドル声優として一時期一世を風靡した者が、程なくして次の若い世代に取って代わられた結果、仕事量が激減してしまったという例も少なくない。

とりわけ、20代後半に差し掛かった辺りで更なる成長を遂げられるか否か、また主役・準主役級の大きな役をどれだけ取れるか、主役級を演じた作品がヒットするか、といった要素が、アイドル声優と呼ばれる者たちのその後の命運を左右すると言っても過言ではなく、過去にそれに成功した者の多くが中堅ないしベテランとして活躍し続けている。

こうしたアイドル声優がアニメイベントのメインゲストとして登場する場合は、参加客の多くが声優を目当てとするため、客寄せの目玉とされることが多い。アイドル声優の中には、後述の武道館コンサートを成功させるように、音楽活動で全国ツアーを組み、発売したCDをオリコン上位に食い込ませることもある。こうした現象は、CDの売り上げが減少する音楽業界にとって、オタクマーケットの一例として認識され注目を集めている。また、声優のイベントやライブコンサートに足しげく通うファン層のことを「声優イベンター」と称される。

現在では、1990年代中期に起こったアイドル声優ブームの絶頂期は過ぎ去ったものの、アイドル声優自体は毎年新しい人物が登場し、むしろその影響力は拡大している。

声優による武道館コンサートの成功とその影響[編集]

日本武道館は、職業として音楽活動を行う者の多くが「ここで観客席を満員にしてコンサートを行う」ということを長期的な大目標にする、歌手たちにとってのある意味では聖地的な存在である。

日本武道館ほどの規模の施設ともなれば、コンサートを興行的に成功させるには、単なる知名度のみならず、ファンからの熱烈な支持、パフォーマンス技術、歌唱力、人物的魅力など総合的な能力の高さが要求される。その為、20年以上芸能界に在籍し、テレビなどでも一線級として扱われる大物の一般芸能人ですら成功させるのは至難とされる。よって、日本武道館でコンサートを成功させることは、歌手としての集客力や興行力が『本物』であるということを芸能業界の内外に示す意味も持っている。

声優業界で最初に武道館コンサートを成功させたのは、1990年代のアイドル声優の代表的存在であった椎名へきるである(1997年)。上述した様な背景があるだけに、椎名の声優としての初の武道館コンサートの成功は、声優界・芸能界の両方に驚きと衝撃を与えた(2002年2003年2004年にも開催)。特に声優界では、この椎名へきるの成功もあってかアイドル声優が次々と誕生し、中でも水樹奈々は、声優として2人目の武道館ライブを2005年2006年の2年連続で成功させた。

逆に芸能界では、日本武道館コンサートは成功させることは依然として難しく、歌手にとってのステータスシンボルともいえるイベントである為、声優業界に謙虚に学ぼうと言う人から、たかが声優と反発する人まで様々な意味で芸能界に衝撃を与える事になった。特に水樹は元々が演歌歌手志望であるだけに歌唱力にも定評があったが、それまで音楽業界全般に広範に知られた存在ではなかっただけに、「たかが若手声優風情が」という気持ちで確認程度のつもりで水樹の歌を聞き、かえって衝撃を受けた人物もいるとされる要出典など、影響はアニメ業界のみならず各方面に及ぶ事になった。

声優の露出について[編集]

舞台公演等に行かなければ見ることが出来なかった素顔の声優たちも、近年はメディアの発達等により、ラジオ・テレビ・雑誌・インターネットなど比較的一般的なメディアにおいて生の演技やトーク等を見ることが多くなりつつある。

声優自身が作品の登場人物に扮して、舞台で公演した例としては、『水色時代』『サクラ大戦シリーズ』『HAPPY☆LESSON』『HUNTER×HUNTER』『スクールランブル(一部分)』『アニメ店長』が挙げられる。とくに『サクラ大戦』の場合、主要キャラクターが「帝国歌劇団」という劇団に所属しているという設定であり、原作の広井王子は、当初から現実の舞台公演も視野に入れてキャスティングした旨語っている。

しかしアニメファンや吹き替え作品のファンにとっては、本来「影の存在」だった声優が表舞台に姿を見せるようになったことに対して、キャラクターや作品のイメージが壊れると感じ、嫌悪感を持つファンも多い。特にアニメの場合は絵と人間との比較となるため、両者間のギャップが大きい場合がほとんどである。

ただし、当人が声優業をレパートリーの一つとしか考えておらず、実際は俳優や歌手として活動しているのに、単にアニメファンが声優活動しか知らないだけ、という事例もままあるので注意が必要である。特に、舞台俳優や歌手・タレント出身者は、声優としての知名度が出てきても、可能な限り元の活動を継続している者が大半である(例えば、アニメ声優・歌手の印象が強いベテランのささきいさおは、実際はオリジナルソングの歌手活動と舞台演劇が主体であり、また俳優および声優としては"佐々木功"、歌手としては"ささきいさお"の名義を近年まで使い分けていた)。

もっとも、近年の若手では声優自身が露出することを前提とした養成・キャスティングも広く行われており、本人の個性やルックス、キャラクターとの一体感も重視されていること、またキャラクターとの年齢差もそれほど大きくないことから、ベテランと言われる世代に比べればギャップは少なくなっている。役柄と本人のギャップも個性・魅力のうちであるという見方もある。

また、声優(特にアイドル声優)の登用に際して演技力が軽視されるようになってきているのではないかと危惧する向きも多い。

現在では従来のように舞台俳優をホームグラウンドとしながら声優も併せてこなす者に比べ、前述のようなアイドル化した声優や本当に声優活動に絞って仕事を行う者も増えてきている。しかし現況ではアニメファン・声優ファンという特定のファン層が確立しているため、若い声優たちはもっぱら彼らを対象とした活動を中心とする傾向にある。

バーチャルアイドル[編集]

本来、声優の多くは裏方の形で、その姿を表に出さないものとされ、その関係もあって容姿はあまり考慮されないといった事情があった。しかしアイドル声優などのように、メディア露出が可能な声優が多く出る一方で、容姿には魅力的要素にかけるが、その喋り方や声楽の面で、多くのファンを獲得する声優も少なくない。

そのような事情もあり、アニメ作品(または近年のコンピュータゲーム)では架空のキャラクターがベテラン声優の声を当てられることで、愛好者筋に注目されるアイドルとして、実在のアイドルに匹敵する人気を博す場合もある。キャラクターグッズや関連商品の販売も含めて、そのような「声優込みで完成されたアイドル像」を形成している場合には、極めて高い商品価値を持つといえる。実際に、アニメソングやゲーム音楽の域を出ないながら、オリコンチャート入りを果たした声優の仕事も存在する。また、声優のおみむらまゆこは旧名の麻績村まゆ子時代に実体を持たないバーチャルアイドル声優として登場していたが途中から路線変更で普通のアイドル声優となった。

しかしアニメ作品が、マニアや一部愛好者、あるいはおたくの好むもの…という風潮も残っており、マイナーアイドルの域を脱せない部分があるのも事実である。そこで架空の、理想的な容姿を持つキャラクター像を3次元コンピュータグラフィックスなどで生成し、これにベテラン声優が声を当てて、理想的なアイドル像を合成しようという動きも見られる。ホリプロのような芸能事務所でも、1990年代中頃より、この方面を模索している。

これらはバーチャルアイドルと呼ばれ、現行ではビジュアル面に特化したグラビアアイドル的な活動を見せるキャラクターも少なくない一方、声優とセットでコンピューターゲームやテレビCMといった一連の映像作品に登場する動きも見られる。

この方向性はまだ技術進歩の余地があり、現状では未知数な部分もあるが、将来的にはSF作品の上では予測されているような、あるいは現行に於いてコンピュータアニメーション映画を更に進歩させた形で、実写映像と見紛うばかりのコンピュータ画面上で活躍する、歌手俳優としてのキャラクターになることも期待されている。

声優と芸能界[編集]

アニメファン・声優ファンは歌手やタレントを(声優と区別して)「芸能人」と呼ぶことが多い。声優も芸能人に含まれるが、声優は演劇から派生した職業であり、アニメ・映画の吹き替え中心で独自の発展を遂げたことが区別される理由だと考えられる。同じく芸能人に含まれるが、一般の芸能人と区別される存在としては、他にお菓子系アイドル地下アイドルがある。

歌手やタレントは知名度を期待されてアニメや吹き替えで重要な役の声優に起用されることがある(大抵はテレビ局や所属事務所の一方的な話題作りや宣伝行為で起用することが多い)が、演技が下手なことが多いため、実際に声の出演の訓練を受けキャリアを積んだ俳優・声優が軽視されていると批判する意見が多い。特にスタジオジブリ制作のアニメ作品は日本映画トップクラスの観客動員数を誇るだけに、歌手やタレントの声優起用が毎回批判の的になることが多い[6]

芸能界での声優の地位[編集]

ラジオが主要なメディアだったラジオ全盛期の声優はマイナーな存在でなくスターとも言える地位を得ていた[7][8]。しかし、テレビ放送が始まると、一般からは、存在が縁遠く一般の芸能人と同様の認知を得られることは本質的に困難な現状にある。声優のマスメディアへの露出が、声のみという本質的な理由によるもので、これをもって顔出しの仕事と比較して一段劣るとして、芸能界の中で声優の仕事を見下す風潮は、吹き替えが始まった1960年代から存在することが当時から活動する声優により証言されている。

1980年代半ばには、アイドル歌手出身の日高のり子テレビアニメタッチ』の浅倉南役の人気により芸能活動に再進出、1990年代初頭にテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の大ヒットによりTARAKOバラエティ番組の司会を務めるなどマスメディアへ多く露出した。1990年代後半~2000年代にはテレビアニメ『ポケットモンスター』の大ヒットでサトシ役の松本梨香がバラエティ番組やテレビコマーシャルに出演、太田真一郎が『料理の鉄人』にレポータとして出演、古田信幸小野坂昌也プロレス総合格闘技イベントのリングアナウンサーを担当、2000年代には、脚本家の三谷幸喜に見出された山寺宏一がテレビドラマやバラエティ番組に幅広く出演するなど、声優としての活動を背景に一般の芸能活動をした例があるが、一般の芸能人らと同様に仕事をこなす声優は極めて稀である。声のみで演技をするために声優を志し、声優の仕事を斡旋する声優プロダクションに所属している者がタレント活動をしないことを以て、声優業界に対して見下す風潮は続いているとする意見が、声優ファンでありながら声優に声優業以外の活動をも望むファンの間には根強い要出典

声の専門職であるはずの声優が一般の芸能活動をすることをファンが望む一方で、知名度のある芸能人が声優業を単発的に行なうケースは数多く、専門職としての声優の真価が問われることになっている。1990年代以降のスタジオジブリ作品など、大作アニメ映画(外国製含む)においては主要キャストの大半を俳優やタレントが占めたり、またTVアニメの劇場版でもゲストキャラクターの声優に有名人が起用される(場合によってはTV版の配役から変更)ことは多く、話題性を重視しての起用という側面も大きい。宮崎駿作品がそうした映画の筆頭と見られやすいが、岡村明美入野自由など宮崎作品が声優としてのデビュー作・出世作となった例もある。一方押井守監督は声で全ての演技を行う声優という職業を評価し『イノセンス』で『攻殻機動隊』から続けて登場するキャラクターの配役交代の話を退けたと言われている。しかしその押井も自作『機動警察パトレイバー 2 the Movie』で俳優を起用したことがあり、存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとしている[9]原恵一監督も同様のことを述べている[10]。アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は存在感や個性については、マイクの前で声を出す声優よりも、声優としての技量が劣っても実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないかと述べた[11]。歴史的に見ると、アニメ声優が確立されていなかった1950年代終盤から1960年代東映動画の初期の長編作品には俳優がアニメキャラクターの声を当てたのを初めとして、1970年代から1980年代を中心に民放各局で知名度の高い芸能人を映画の吹き替えに起用するケースが多発した。特に日本テレビの『スター・ウォーズ』では出演者の演技力の低さから視聴者の不興を得て沈静化、2006年現在ではフジテレビがたまに起用する程度ではあるが、劇場用のファミリーアニメにおいては、1990年代後半からは起用されることが増えて来ている。

声優の歌手活動は、自らが声で出演するアニメ作品の主題歌・挿入歌を歌うケースを除けば、その多くがアイドル声優によるものであり、純粋に歌手活動が評価されることはなく、声優業による人気が背景にあったり、余技と見なされ、一般からは声優の歌手活動と専業歌手によるものとは区別されるのが通例である。歌手活動をする声優を一般歌手と同等に扱ってもらいたいファンが、世間一般で声優の地位が低い代表的な例として挙げるのは、レコード店では声優が個人またはユニットで歌う音楽CDのほとんどが「アニメ関連コーナー」に置かれていることである。販売店の管理の都合や、声優ファンが探し易いなどの理由もあるが、専業歌手でない芸能人が歌う音楽CDが専業歌手並みに扱われていることに比べると、これは低い扱いなのだと主張する。

アイドル声優が一般の音楽番組で扱われることは稀であるが、1990年代林原めぐみ日本テレビの『速報!歌の大辞テン』に、椎名へきるテレビ朝日の『ミュージックステーション』に、桜井智が日本テレビの『THE夜もヒッパレ』に、國府田マリ子がUHF系ネットの『MUSIC B.B.』に、2000年代には水樹奈々(2回)や平野綾堀江由衣フジテレビの『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に、水樹奈々テレビ東京の『音流~On Ryu~』に、南里侑香FictionJunction YUUKA名義でNHKの『ポップジャム』に出演するというケースが表れている。なおアイドル声優ではないが、1980年代には大山のぶ代が歌手として日本テレビの『ザ・トップテン』に出演したこともある。更に1990年代以降、声優の歌ったCDがオリコンランキング上位の常連となることも少なくなく、それがランキング形式の音楽番組にて大衆の目に触れることも少なくない。TBSの『COUNT DOWN TV』はその代表とも言える(1997年には「声優アーティスト特集」を放送、翌98年には「注目アーティスト」として坂本真綾を紹介している)。

テレビドラマ一般映画など、広義において実写と呼ばれる類いに属する作品のエンディングテロップでは通常、キャスト(またはCAST)という分類名称で表記され、出演者を紹介するが、アニメーション業界(テレビアニメに限らず、劇場用アニメ映画も含む)やゲーム業界では声の出演という分類名称で表記されることが多い為、一部では「キャスト」ではなく「声の出演」という表記をすること自体が、アニメ作品やゲーム作品、声優・ナレーターという仕事そのものを差別的に軽視しているとの意見もある要出典。しかし2000年代以降「声の出演」ではなく「キャスト」や「CAST」と表記する作品が増加しており、声優に対する見方が変化しつつあるといえる。

声優からテレビタレントへの進出[編集]

声優からテレビドラマ俳優やテレビタレント・司会者への進出は、愛川欽也黒柳徹子藤岡琢也伊武雅刀など、他業に進出した成功を収めた結果、2006年現在では声優として認知されていない成功者が何人かいる。劇団系の声優は、あくまでも役者なので、テレビドラマへ役者として出演しても全く問題は無く、兼業する者も少なくない。しかし、声優専門プロダクションに所属する声のみで演じている専業声優がドラマで顔出しするケースは稀で、しかも成功した例は少ない。ただ、マイナーな作品(興行的に展開が小さい作品)ではそれなりの成功を収めた例はある。しかし、顔を知られていないので主演や助演などにすると新人起用同然の状況となってしまい、主にゲストとして出演するのが常である。

専業声優出身者としてドラマ出演でのほぼ唯一といっていい成功例が山寺宏一である。山寺の場合は、声優という閉鎖的な雰囲気を一切感じさせない明るいキャラクターが受けたといえる。但し、これも『おはスタ』などで顔出しする司会者として名を馳せた事や、各種モノマネ番組に頻繁に出演実績があってこその俳優デビューであったと言え、愛川欽也のあり方に近いものである。山寺は専業声優歴が長く人気も高いので、俳優デビューは遅く、進出後も兼業で声優を続けている。

山田康雄戸田恵子津嘉山正種中田浩二石田太郎などは元々顔出しして演じている舞台役者(戸田はアイドル時代があるが)で、初めは俳優業としてドラマにも出ており、その後、声優兼業というパターンで俳優もこなしている。大山のぶ代はタレント・料理研究家としての顔を持ち、冨永みーな飯塚雅弓池田秀一などは元来子役出身であり(冨永の場合はモノマネに秀でていた事から、山寺と同様にテレビのモノマネ番組に頻繁に出演していた時期があった)、また、日高のり子もアイドル時代に各種テレビ番組に出演していた経験が多数あり、いずれもその後声優に転身している。

これらの逆のパターン、すなわち最初に専業声優としてデビューした者が、その後テレビドラマなどメディア上で顔出しの役者として主要な役を獲得するのは難しいのが実情である。前述の山寺宏一を除いては、声優ブーム最盛期に國府田マリ子が深夜ドラマ『せつない』にレギュラー出演していたことや宮村優子‎が映画『バトル・ロワイアル』やNHK朝の連続テレビ小説ちゅらさん』に出演していた例くらいである。その為か、最近の声優業界では、テレビの特番企画などのゲスト出演や、最初から声優ファン向けのテレビ番組・映画・DVDに的を絞って顔出し出演するものとなっている。それは、ドラマのキャスティング権は大手芸能事務所が大きな力を持ち、声優業のマネージメントを主とする声優プロダクションは大手であってもテレビドラマに出演させる力がないからである。声優プロダクションが繋がりを持ち営業をかけるのは音声製作会社に対してである。そのため声優業のマネージメントは声優プロダクションに任せるが、その他のマネージメントは一般の芸能事務所に任せるというタレントも存在する。中堅から若手の声優の多くは、最初から声優を志して専業声優となったので、声優プロダクションに所属している。タレントとしての活動の幅を広げたくなった声優の中には声優プロダクションを離れて、一般の芸能事務所へ移籍する場合もある(前出の宮村優子など)。

芸能人のファンと声優のファンの違い[編集]

芸能界では主に芸能人を「高嶺の花」とすることでファンを得てきたが、声優は芸能人以上に狭い部分をターゲットとするので、「身近な存在」とすることでファンを得てきた。しかし、それは熱烈なファンを大量に産むと言う手法として確立し、特にアイドル声優に直接関連する商品(直筆サイン等)は高騰した。またその熱烈なファンの結集が膨大なエネルギーとなり声優の成功へ導かせ、結果として芸能界でさえ難しいと言われた日本武道館コンサートで成功する声優を生み出した。 つまり、声優以外の芸能人の人気は浅く広くであり、声優はその範囲の狭さを深さでカバーしていると考えられる。

しかしながら、アイドル業界においては、1980年代のビッグアイドルたちの全盛期と比べると、1990年代後半のモーニング娘。以降は細分化・ニッチ化が著しく、逆に1990年代以降のアイドル声優にかつてのアイドル黄金期と共通するものを見いだす向きもある。

また、一部のファンの中には、アイドルファンも兼ねている場合がある。これは、TV出演などブレイクしていないアイドルが、ファンに親近感を持たせる活動をすることで、ファンの獲得を狙っていることが大きな理由と思われる。声優ファンの中には、吹き替えの仕事がメインとして活動する声優にとってはファンの獲得は仕事を得る上で必要ではあるものの、あくまでサブの要素が強く、反面アイドルについてはファンの獲得が仕事の獲得に深く結びつくため、ファンに対してより好意的な対応をするとの観点から、アイドルファンにシフトしていくものも増えている。 アニメやゲームなどに深くかかわる事から多くの声優イベントが組まれ、声優ファンの主要な活動地域でもあった秋葉原だが、近年時東ぁみAKB48など、その秋葉原を拠点として活動するアイドルが増えたことも、声優ファンのアイドルファンへのシフトを強めている。 こうしたシフト現象は、自宅で主にアニメやラジオなどの声優活動を通じて楽しむ、いわゆる「在宅」の声優ファンよりも、声優イベントに足繁く通う「現場」系の声優ファン(声優イベンター)に多く当てはまる。

声優稼業の実態[編集]

声優の仕事の取り方[編集]

所属事務所を通して配役をあてがわれることは、特に新人やキャリアの浅い者には、極めて稀である(音響制作会社から声優のマネージメントを声優事務所に任されていると、端役等が事務所マネージャーに一任される場合はある。「協力:○○プロダクション」などとクレジットされているときはそう考えてよい)。

アイドル声優として売り出される者を例外として、通常は各作品の制作プロダクションから声優の事務所庶務に、洋画ビデオ吹替やテナント等のナレーション、アニメーション等各作品の「オーディションのお知らせ」が通達されるのみで、声優はこれらに事務所を通じて応募してオーディションを受験し、合格を取るといった「自らの足で稼いで仕事を取ってくる」ことがほとんどである。

全ての声優がオーディションに参加する機会を得られるとは限らない。声をかけられた事務所のマネージャーは、役柄にあうと判断した所属声優をピックアップしてオーディションに挑ませるのが通例である。オーディションの手間をかけず、事務所単位で制作されているボイスサンプルを収録したCDなどを参考にキャスティングを済ますこともある。

洋画の翻訳会社からビデオ化の際の吹替トラック作成時に指名を受けることもあるが、これは外国俳優の持ち役等を持っている声優などごく一部の例外と言ってよい。

従って如何に就労意欲があろうともオーディションで採用されなければ無収入のままであり、声優として稼業するということは、常にオーディションを受け続け、勝ち続けなければ食べることが出来ないという厳しい現実を繰り返すことなのである。

基本的な事情は以上だが、現実には映画での「○○組」と同じような現象がこの世界でもあり、各種原作者などの版権者や制作会社関係者、監督や音響監督との人間関係によってしばしば常連声優がいたり系列化されているのも事実である。

経済環境[編集]

声優は業界の待遇改善のために「声優は儲からずそれ以前に衣食住に窮する事が多い」と、宣伝されて来た。事実、声優プロダクション(事務所)に所属したからといって、それで生活の保証があるわけではない。例外的に基本給が存在する事務所もあるが、ほとんどの場合、所属事務所からの基本給というものは存在せず、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の20%を事務手数料として事務所へ支払う関係である。経済的に自立できずに脱落していく者がいる一方で、高額納税者に名を連ねる成功者がいるといったように歌手や俳優など他の芸能の世界と何ら変わりない厳しい競争社会である。

吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は、実写出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優のアルバイトが多かった。ただし実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なく、何本も掛け持ち出演が可能だったため、一概に低収入と言えなかった。 また声優への報酬は出演部分に対しての物だけであり演じているキャラクターの関連商品などのロイヤリティは声優には還元されないのが普通である。

声優の待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音声製作者連盟音製連)、声優のマネージメントを行なう事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ1973年8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年には報酬の314%アップ、1980年には再放送での利用料の認定、1991年には170%アップするなどの成果を勝ち取って来た。業界に対してのみならず、1973年2001年にはデモ行進、1988年には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題してアニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている。

日俳連・マネ協・音声連による協議の結果、「外画動画出演規定」「新人登録制度」「CS番組に関する特別規定」「ゲーム出演規定」などを締結。アニメでは、放送局と、アニメ制作会社で組織される「日本動画製作者連盟」も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンルや放送時間帯、放送回数、ソフト化等による二次利用、そして経験実績等の条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない(一概には言えないが、日俳連は基本的に土日祝日のゴールデンタイムに放送される番組に最も高いクラスの報酬を設定している)。

以上の事情はアニメと外画吹替における日俳連と音製連とマネ協による協定に基づくものであり、声優、マネジメント事業者、音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ、この規定に縛られることはない。例えば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1000万円だったと言われている。そのため組織率を高めるために、音声連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音声連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音声連に入ってない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。

これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用するケースが1990年代半ばより増えて来ており、日俳連の組織率は以前と比べると低下している。この所属外起用によって、若手をステップアップし育てるべく存在していたランク制が事実上崩壊し、若手やジュニア層がランクアップすると仕事が来なくなって困窮する、等の深刻な現象が起こっている。このようなルールの抜け道を利用した起用のあり方に対して、日俳連は現在対策を思案中。音製連に属していない事業者としては、脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)、マネ協に属していない事業者としては、ネルケプランニング、東映アカデミー、ラムズなどがある。

ランク制[編集]

ランク制とは日俳連に所属する声優がアニメと吹替作品に出演する際の出演料の規定である。この制度の下では、主役・端役に関わらず、台詞の数が一言だろうと関係なく、「外画動画出演規定」に定められた「ランク」と呼ばれる出演料に従って、報酬が支払われることになっている。アニメと吹替作品の他にCESAに加盟するゲーム会社との間にも同様のランクが設けられている。ランクの設定は毎年4月に更新され、人気が上がったりキャリアを重ねると、マネ協や音声連との協議の上、ランクが上がっていく。例外として、60歳以上の者はランクを上げることは出来ても、下げることは出来ない。1991年に出演料が170%アップする改定をしたこともあり、予算の限られたアニメや吹替には、ランクの高い出演料の上がったベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった。それにより、2001年から2年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた。

30分作品の最低ランクは1万5千円、最高は4万5千円で、その上に上限なしのノーランクが設定されている。これが基本出演料になり、放送時間が60分や120分の場合はさらに「時間割増」、アニメは「目的使用料」として基本出演料の80%、吹替には70%、予告編の台詞についてもそれぞれ基本出演料のランクを基にした出演料が支払われ、これらの合計が声優の総出演料となる。

アニメ、外画、ゲーム以外は、このランク制の適用を受けない。

新人声優の待遇[編集]

新人声優はこのランク制の下でプロの声優と競わせると不利になるということで、日俳連とマネ協の協議により、1994年より「新人登録制度」が設けられた。マネ協に所属する新人で、新人名簿に載せられた者が2年間の間、一定の起用率でランク制の枠外で出演できるというもので、期間が終了した後は日俳連へ所属してランク制の枠内で活動することを推奨される。

新人声優は2本のレギュラー番組を持てるようになる頃には、それ以外にもCMなどの仕事も入り、声優として生計を立てられると言われている[12][13]

アダルト(18禁)作品関連の場合[編集]

ゲームソフト会社は音製連に属していなかったため、この協定よりも遥かに高額な報酬を声優に支払っていた時期がある。しかしこれも、1998年に日俳連と社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の間で協議が持たれ、アニメや外画に準ずる形になったという。ただし、CESAは家庭用ゲームソフトメーカーで組織されており、この協定は一般ゲームが対象になっている。

一方、アダルトゲームなどでは、未だにアニメのアフレコ1本分の数倍の報酬が出演料として支払われるとされている。この場合、特に女性声優は、事務所の方針などからアダルト用の異なる芸名(「裏名」、もしくは「源氏名」などとも)を使って活動する事も多い。一貫して特定の名義を使うもの、作品ごとに別名義を使い捨てるものなど、人によってさまざまである。栗林みな実榊原ゆいアダルトゲームに出る場合に名前を変えない希有な例である(もっとも、栗林についてはマネジメント会社がアダルトゲーム関連の企業と同一の法人である)。

この方面でも役を取るためには地道な営業活動が必要であり、アトリエピーチなどのアダルト関係を中心に扱う事務所の声優、各アダルトPCゲーム会社との関係が深いフリー声優との熾烈な競争がある。また、新人声優の通り道としてこれらの仕事を回す事務所も存在するといわれている。その一方で、一部にはアダルトゲーム・アダルトアニメへの所属声優の出演を許可しない方針を取っている事務所も存在する。声優としての活動はアダルト専門の声優と他の声優とは、交流・活動において隔たりがある場合が多く、アダルトNGの声優事務所・業界関係者、声優自身やそのファンからの偏見や抵抗も少なからずある。その垣根を越えて活動している声優も多く存在する。無論、アダルトゲームに出演していることを公言していなかったり、また周囲に(この場合ファンを指す)気づかれていなかったり、人知れず活躍する声優も存在すると思われる。

彼女ら、アダルトゲーム(=俗称「エロゲー」)を中心に活躍する女性声優を「エロゲ声優」と呼ぶことがある。エロゲ声優の多くは、人気の高いアイドル声優とは異なり、イベントや雑誌などのいわゆる顔出しの仕事をせずに声の演技一本で活躍する事が多い。人気が出た例もあり、北都南一色ヒカルなどは年間出演作品数が50本を超えた事がある。

なお、過去のアダルトゲームのアニメ化は18禁となるのが常だったが、ゲーム版の声優がそのままキャストを務める事も多かったが、最近はコンシューマー移植による一般作品化やメディアミックスなどにより一般アニメ化されるケースが増えている。そうしたケースの多くでは大抵キャストが、アニメで活躍している声優に入れ替えられる事になる。

逆に男性の場合、ボーイズラブ(BL)もしくは女性向け18禁ゲーム等の仕事が入り、上手く行けば女性人気を得る事も容易いとされている。櫻井孝宏はかつて自分のラジオ番組で「BLがあったから今の自分がある」との発言を残した。女性に比べ男性は性的メディアに出演する事への抵抗感が少ないことから、多くの男性有名声優がアダルトソフトやボーイズラブの仕事を受けている。むしろ、成人向け作品への出演を認めていない事務所に所属する者を別とすれば、出演していない男性声優の方が少数派ではないかとの見方もある。

こういった作品への出演には別名を使う場合もあるが、一般と同じ名義でクレジットされる場合が少なくないことが、女性声優との大きな相違である。

ベテラン声優の収入源[編集]

ベテランになり日俳連のランクが高くなると、予算の関係からアニメや吹替・ゲームの仕事が少なくなってくる。

それを補うのが、CMやナレーションの仕事である。こちらの方面は日俳連の協定によるランクの縛りがなく、クライアントとの交渉次第で報酬が決定しアニメや吹替よりも遥かに高額とされる。キャリアを積んで一定の評価を得たベテランとなるとこちらの依頼が増えるようになって、CMやナレーションに仕事の比重が移っていく。アニメに出演する場合でもナレーションを担当することが多くなる傾向にある。

特に番組ナレーションに強いとされる青二プロダクション所属の中堅やベテランクラスの者にその傾向が強く見られる(青二プロダクションの真地勇志はナレーションを中心としているが、同事務所でもトップクラスの高額報酬を得ている)。

他にも企業向けPRビデオのナレーションの仕事はファンへの露出は少なく目立たない仕事ではあるが、声優にとっては貴重な収入源となっている。また、ナレーションと同様のものとして、最近では鉄道車両路線バスに搭載される自動放送装置の案内放送などにも一部に声優が担当しているものが見られる。

中にはデビュー後ナレーション中心に仕事が広がり、数年経ってからアニメに進出する者も存在する。その一人である諏訪部順一は外車を数台所有する事でも知られている(『テニスの王子様』の跡部景吾役で女性ファンの人気を集めた事も相まっている)。

ベテラン声優の中には本業の傍ら、副業を行う者もいる。音響監督には声優事務所の主宰、声優の養成所や専門学校の講師など、声優業と関わりのある仕事がほとんどである。またベテラン格になると、経済的にはこちらが本業という状態の者も珍しくはない。これらは収入の少なさや、業界に貢献したいからという理由が考えられる。

雑誌『アニメージュ』は毎年大きな人気投票を行うため、アニメに出演した声優をリストアップするが(本業は歌手やテレビ等をメインにする俳優なども交ざる)そこで示される声優の総数はおよそ1500人弱にのぼる。

声優のメリット[編集]

厳しい実態がある声優業界だが、メリットもある。

まず、儲からないと言われる声優だが舞台俳優よりは報酬が恵まれているという点。これはただでさえ舞台という物の需要が少ないため、どうしても儲かる人物が一部の中のさらに一部の人間になってしまうところにある。

また、ロケーションで遠出をしたり長期の稽古や地方公演が行われる、実写の映像作品や舞台での活動に対して、声優の仕事は拘束時間が短く収録時間も明確になっている、また収録スタジオの多くが東京とその近隣地域に集中しているという点。このため、何本も仕事を掛け持ちすることが可能となり売れっ子となれば高額の所得を得られる。また女性が結婚・出産して自由になる時間が少なくなっても、家事や育児と両立させながら仕事を続けられることが挙げられる。それまで実写作品に出演していた池田昌子小原乃梨子などが声優の仕事のみを続けたのは、そのためである[14]

次に、いわゆる「顔出し」の仕事をしなくても済むこと。これにより本人のルックスや年齢(または性別)にとらわれることなく、幅広い役柄を演じることが可能になる。そして、テレビ等に頻繁に登場する芸能人と比べると、世間一般に対する露出頻度が非常に低いことで、コアなアニメファンなど一部の層以外にはプライバシーが保たれるという点が挙げられる。写真週刊誌やワイドショーが取りあげることはほとんどない。実際、過去にスキャンダルとして報道された例は極めて少なく、マスコミに取り囲まれてしつこくプライベートの質問をされることも無いので、その分、精神的には非常に楽と言える。ただし、プライバシーが守られているということは裏を返せば近況が掴みづらいということである。これは移籍中やフリー等、プロダクションに属していない声優の場合、表舞台の活躍(主にテレビ出演)が長期に途絶えると、それらの声優のファンにとっては心配の種となり、様々な憶測を呼んでしまうというデメリットもある(稀には、いわゆる死亡説が流れる事もある)。

スキャンダルの例としては、当時名前が売れ始めていた石原絵理子が、所属事務所に無断で別名うさだひかるAVに出演していた事が発覚した際、東京スポーツで紙面の4分の1を占めるほどの記事となった件(発覚後、事務所を解雇されAVも引退)や、大野まりなが、声優になる以前にヌードグラビア誌に出ていたことを週刊誌で取り上げられ、当時担当していたリカちゃん人形の声の吹き替えから降板させられた件くらいであったが、2007年5月28日に大手声優事務所アーツビジョンの社長がオーディションを利用して未成年に猥褻な行為を強いたとして逮捕・書類送検されたことが発覚した。(アーツビジョン事件として後述)。

声優の移籍や独立[編集]

芸能人(ここで言う芸能人に声優は含まれない)は、一般的に所属事務所を通した活動を行い、そのギャランティからのマネジメント仲介料が事務所の収入となっている。それ故に、存在その物が商品である為、特に独立に対しては、これを安易に容認すれば大手プロダクションの経営基盤に影響を及ぼす可能性がある事を警戒している為か、事務所移籍には莫大な違約金を科すなどの厳しい制約項目を所属芸能人との契約書に明記させる例が多い。

例として吉本興業所属の芸人や、爆笑問題鈴木亜美のように独立或いは事務所と軋轢を深めることによって、それまでの「大手事務所経由による仕事の契約」というルートが寸断されてしまい、その後の活動に影響が顕著に現れた芸能人も少なくない(特に吉本関係では一度は辞めた人間が、容赦ない干されように耐えかねて、後に吉本側に対して土下座してまで復縁して、やっと表舞台に復帰出来た例が多い事で有名である)。

しかし、声優業界では「オーディションを受けて自分の手で仕事を獲ってくる」という芸能界本来のシステムが未だ主流であり(もっとも声優に限らず、現在もオーディションによる配役決定という姿勢で作品制作が行われている例も根強いが)、さらにアニメなどでは長年声優をやっているから、などと言う理由では採用されず、作品世界・登場人物のイメージに適合した声(声質)や演技力を持つ人物が採用される傾向が強く、大物声優でも選考オーディションを普通に受けるのが、芸能界とは異なるところである。

ただし、アイドル声優は比較的集中してキャスティングされる事もある。これは特に人気アイドル声優を多く抱える大手レコード会社が制作する作品において顕著であり、レコード会社側が音楽CDなどの商品展開の際に重宝する者を多く起用する傾向にある。これによって作品の多さの割に代わり映えのしないキャスティングになる事も少なくない。

ともあれ、以上に挙げられる理由などから、声優業界においては、独立や移籍に関しては比較的寛容である。

移籍の過程においては、元の事務所を退社後1~2ヶ月程度の間を置いて新しい事務所に正式に所属するパターンが主流となっている。この場合、元の事務所から戦力構想外と見なされた者に対し、別の事務所が引き取り手として名乗りを挙げて、両事務所間の協議の結果、円満移籍が実現する例も多い。特にアイドルタレントやモデルなど異分野出身の声優が声優への本格転向を志してプロダクション間を移籍する場合などに見られるが、とりわけ円満に移籍が進んだ場合には、前の事務所も様々な情報の引き継ぎを行い新天地に送り出す形で移籍を支援し、前事務所の契約終了と同時に新事務所の所属となるケースも見られる。

しかし、実際の所は完全に寛容と言う訳でもなく、事務所との軋轢などが原因で辞めた人間が、その後めっきり仕事量が減ってしまった例もある。また、声優の仕事は完全にオーディションではなく、事務所の得意分野やアニメ・映画の制作会社とのコネクションなどの関係もあり、井上喜久子のようにデビュー当初から在籍していた事務所を辞めてフリーになった途端に、その事務所が得意とする吹き替えの仕事が急減した例もある。逆にナレーションの仕事へと比重を移したい声優が、ナレーションに強い事務所へと移籍する例などもある。

人気声優の中には独立して活動している者も少なくないが、一度はフリーランスになり、そんな中でも安定した仕事量があった人気声優の中にも、マネジメント業務の煩雑さなどから、再び事務所所属になったり、特定の分野の仕事のみマネージメントを委託する例も少なくない。一般的な芸能人に比較して単体での営業活動基盤が脆弱な声優業界においては、フリーランスでの活動はごく一部の成功者のみ許される選択肢でもある。

専門学校・養成所[編集]

声優を目指す場合、声優養成所やアニメーション・マルチメディア・音響関係の専門学校に併設された声優学科に通うのが一般的である。

養成所や専門学校での養成期間は概ね2年から3年であるが、ここで習うのは声優としての演技ではなく通常の俳優としての基礎演技である。すなわち一般的な俳優養成所とほとんど変わらない訓練を積むのである。これはどのプロダクションにも一貫している見解であるが、「素の演技が出来ない者は声の演技などまして出来ない」ということである。訓練生は、一本立ち出来る演劇俳優を目指し基礎を徹底的に鍛え上げられるのである。

卒業に際して、プロダクション主催のオーディションに合格するとプロダクションに所属できる。この時点では各所属において「新人」「ジュニア」と呼ばれる見習い期間となる。そして見習い期間中や期間後に、どれだけの仕事をオーディションで取ることができたか、どれほどの仕事をすることができたかが、準所属や正所属・本所属といわれる段階に進めるか否かの判断材料となる。これが順調に進められた者は大手の声優プロダクションに移籍することもある。

逆に言えばこの新人期間にオーディションで仕事を取れない者はこの後遅咲きで伸びるということはほとんどなく、夢を断念して去るか、再び養成所に入所し直して演技力を高めるしかない。

毎年2000人以上いると言われる声優の訓練生だが、実際に生き残ってプロデビューを果たせる者はほんの僅かであり、デビューしてもほとんどの者は長い期間の下積みを覚悟しなくてはならず、非常に狭き門と言える。

頭角を現して生き残れる条件は、(極めて特異な声質を持つ場合はともかく)芝居力・演技力が他の者より優れているか否かである。すなわち養成所時代にどれほどの演技力を身につけられたか、事務所に所属してからはどれほどそれを伸ばすことができたかが、勝敗を決めることになるのである。そして勝ち残った僅かな者も、前章のようなオーディションを戦い続けなければならない厳しい人生を歩んでゆくこととなる。

専門学校や養成所では、プロの声優も講師となり演技の指導を行う。このような講師の仕事も声優の仕事の一部である。

アーツビジョン事件[編集]

2007年4月に大手声優事務所アーツビジョン社長児童買春・ポルノ処罰法違反で逮捕。 5月28日に書類送検された事件。 内容はオーディションに応募した16歳の少女を面接時に合格をちらつかせ下半身を触ったというもの。 この少女は不合格になっている。

関連項目[編集]


出典・脚注[編集]

  1. NECホームエレクトロニクスの発売した家庭用ゲーム機PCエンジンのCD-ROMドライブの発売は1988年12月。
  2. 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、20-21頁
  3. 松田咲實『声優白書』2000年、オークラ出版、43頁。
  4. 『テレビ黄金時代の立役者12人の告白 あの日、夢の箱を開けた!』小学館、2003年、190頁。
  5. 尾形英夫『あの旗を撃て! 「アニメージュ」血風録』オークラ出版、2004年、60頁、120頁。
  6. 岡田斗司夫、田中公平、山本弘「宮崎アニメ徹底大研究」『史上最強のオタク座談会 封印』音楽専科社、1999年、198頁。
  7. 清水勲『「漫画少年」と赤本マンガ ――戦後マンガの誕生――』ゾーオン社、1989年、144頁。
  8. 能村庸一『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』東京新聞出版局、1999年、20-21頁
  9. 押井守『すべての映画はアニメになる』徳間書店、2004年、307-309頁。
  10. 「原恵一監督が語る新作映画のキャスティング!」『サイゾー』インフォバーン、2007年8月号。
  11. 首藤剛志「シナリオえーだば創作術 第39回 『戦国魔神ゴーショーグン』予告のわけ……」『WEBアニメスタイル』2006年3月1日。
  12. 神谷明『神谷明の声優ワンダーランド』学習研究社、2001年、21頁。
  13. 松田咲實『声優白書』2000年、オークラ出版、73頁。
  14. 『演声人語 ベテラン声優が語る役者人生』ソニー・マガジンズ、2000年、33頁、67頁。

参考文献[編集]

  • 山口且訓、渡辺泰『日本アニメーション映画史』(有文社、1977年)
  • 近代映画社ジ・アニメ編『声優名鑑 -アニメーションから洋画まで』(近代映画社、1985年) - 勝田久『声優の歴史』
  • 乾直明『外国テレビフィルム盛衰史』(晶文社、1990年)
  • とり・みき&吹替愛好会『吹替映画大事典』(三一書房、1995年)
  • 荒俣宏『TV博物誌』(小学館、1997年)
  • 松田咲實『声優白書』(オークラ出版、2000年)
  • 『演声人語 -ベテラン声優が語る役者人生』(ソニー・マガジンズ、2000年)
  • 西沢実『ラジオドラマの黄金時代』(河出書房新社、2002年)

外部リンク[編集]

アニメ出演作品検索[編集]

吹替出演作品検索[編集]

ニュースサイト[編集]

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